義に生きた悲運の会津藩、最後の藩主
               
             
            
               会津藩、九代目の藩主。岐阜県高須藩松平義建の子で会津藩八代目・松平容敬(かたたか)の養子となりました。 
               京都守護職として、京都の治安と公武合体に尽力し、孝明天皇の厚い信頼を得ました。 
               新選組も会津藩の預かりとなり活躍します。 
               その後、統幕派は形勢を逆転し、戊辰戦争に突入します。鶴ヶ城での1ヶ月にわたる壮絶な籠城戦の末に降伏しました。 
               会津落城後は妙国寺(みょうこくじ)に謹慎、のちに和歌山藩に移されました。明治5年に謹慎をとかれ、東照宮の宮司に任ぜられました。失意と沈黙の日々を過ごし、58歳の生涯を閉じました。 
             
             
            
              - DATA
 
                ◆住所 福島県会津若松市東山町石山院内 
                ◆電話 0242-39-1305(会津若松市教育委員会) 
                ◆時間 自由拝観 
                ◆駐車場 東山温泉共同駐車場(墓所入口まで徒歩5分、入口より約25分) 
              
            
              ■地図
                 
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