NEW「あいづ広域観光情報センターiらんしょ。」閉館のお知らせ

当センターは、平成25年度から福島県緊急雇用創出事業及び福島県新型コロナウイルス感染症対応緊急雇用創出事業を活用し会津地方広域観光の情報発信を行ってまいりましたが、新型コロナウイルス感染症が5類感染症に区分されたことに伴い、福島県新型コロナウイルス感染症対応緊急雇用創出事業が終了することから、令和6年3月20日をもちまして閉館することといたしました。これまで長きに渡る御支援に心から感謝申し上げます。

【設置者】福島県会津地方振興局
【運営事務局】NPO法人 会津地域連携センター。

<お知らせ>17市町村のイベント情報更新中NEW
<お知らせ>福島テレビ『キビタンGO!』iらんしょ密着取材!
<お知らせ>2023年度まちの駅・道の駅情報掲載!

【動画】歌う観光大使 越尾さくら の 【まちの駅・道の駅 INFORMATION】♪

INFORMATION 動画 全て完成しました。
駅名をクリックして、是非ご覧下さい。


動画を見るには駅名ををクリックしてください✨
【中央エリア】
《割烹の駅 割烹 萬花楼》
《そばと地酒の駅 桐屋 権現亭》
《くいしん坊の駅 和風レストラン くいしん坊》
《会津そばの駅 二丸屋 武蔵亭》
《會津輪箱飯の駅 割烹 田季野》
《野口英世青春通りの駅 ホテルニューパレス》
《土きど器の駅 会津慶山焼》
《お城の駅 鶴ヶ城観光案内所》
《ララちゃんの駅 株式会社羅羅屋 会津若松》
《ラジオの駅 エフエム会津》
《まちの駅うるしの里 漆器工房 鈴武》
《ようこその駅 会津若松駅観光案内所》
《薬草の駅 会津松平氏庭園 御薬園》
《まちの駅 鶴ヶ城 鶴ヶ城会館》
《白虎隊の学び舎 會津藩校日新館》
《まちの駅 会津藩 会津武家屋敷》
《産業観光の駅 会津若松商工会議所》
《夜の駅 のり平 花小路のり平》
《ねこが働く駅 会津鉄道 芦ノ牧温泉駅》
《まちの駅会津美里町 会津美里の観光案内所》
《お酒の駅 末廣酒造嘉永蔵》
《焼物体験の駅 窯元 流紋焼》
《まちの駅 駅カフェ あいづふるさとアンテナショップ駅カフェ》
《まちの駅 会津 会津町方伝承館》
《まちの駅 ワシントンホテル憩いの広場 会津若松ワシントンホテル》
《まちの駅飯盛山 飯盛山観光案内所》
《会津飯盛山 忠魂の駅 やまが 飯盛山店》
《犬が店長のまちの駅 会津よろずや》
《道の駅あいづ湯川・会津坂下》
《まちの駅にいつる 新鶴温泉 ほっとぴあ新鶴》
《まちの駅 ロータス村 NPO法人 Lotus》
《べこの乳 アイス牧場の駅 会津中央乳業株式会社》
《まちづくりの駅 会津坂下町 まちづくりセンター・坂下コミュニティセンター》
《フルーツの駅 がぶりガーデン》
《まちの駅 はな花 佐藤生花店》
【北エリア】
《まちの駅 かぐや姫 川口屋タンス店》
《道の駅 喜多の郷》
《道の駅 にしあいづ》
まちの駅しんきん蔵 会津信用金庫喜多方支店
【南エリア】
《道の駅 しもごう》
《道の駅 たじま》
《まちの駅 祇園会館》
《まちの駅 下郷 下郷町物産館》
《まちの駅 南会津ふるさと物産館》
《道の駅 尾瀬 檜枝岐》
《道の駅 きらら289》
《道の駅 番屋》
《えごまの里 まちの駅只見 株式会社 げんき村》
【東エリア】
《道の駅 ばんだい》
《會津のたまて箱わっぱ飯の駅 會津遊食 たか膳》
《道の駅 猪苗代》
《道の駅 裏磐梯》
【西エリア】
《赤べこの駅 花ホテル 滝のや》
《道の駅会津柳津 観光物産館 清柳苑》
《道の駅 尾瀬街道みしま宿》
《道の駅 からむし織の里しょうわ》
《道の駅 奥会津 かねやま》

【まちの駅・道の駅のご紹介】
「全会津17市町村の情報満載!ガイドブック2022」が、まちの駅・道の駅に設置されておりますので、お越しの際はぜひご覧ください。

【あかべこサロン終了のお知らせ】 
令和4年2月17日(木)にて「あかべこサロン」は終了いたしました。
たくさんの方にご来館をいただきまして、大変ありがとうございました。
今後につきましては情報が分かり次第改めてお知らせ致します。

その他、FacebookInstagramTwitterも随時更新中!!
ぜひご覧ください(*^^)v

【動画】会津を旅するミスワールドです♡

会津を旅する①会津を旅する②会津を旅する③会津を旅する④会津を旅する⑤

<会津17市町村プロモーション映像>

みどころ紹介「夏」バージョン みどころ紹介「秋・冬」バージョン 

「地域おこし協力隊とめぐる・焼物体験会」第六回 酔月窯

2021年12月7日

9つの会津本郷焼の窯元を、月に一ヶ所ずつ 地域おこし協力隊と一緒に巡る焼き物体験会です。
 
令和3年の締め括りでもある今月は 「酔月窯」で、絵付けと手びねり体験です。
 
私たち会津の先人達は「確かに戊辰に戦で敗れはしたが『やられたらやり返す』の報復の連鎖は選ばず、別の真っ当な事で見返した」という誇りと希望の火を灯しました。
その代表的とも言える製品が『会津本郷焼』です。
 
会津本郷焼は遡る事 戦国時代。蒲生氏郷公が若松城の屋根瓦を焼かせた事が始まりとされ、その後も繁栄を続けました。
明治維新後の上野万博では金賞を受賞し、その受けた高い評価は海外へと渡り、欧米各国へ大量の輸出をするまで至った歴史を持ちます。

 
戊辰の戦の後、武家の方々は斗南へ移される。昔の制度で言う「士農工商」の中で「農工商」の民達だけとなった会津。
そんな焼け野原からの復興は、こうした工芸文化や商人の人たちの努力と貢献が非常に大きいのです。
 
そんな歴史深く、会津の経済を支えた伝統工芸「会津本郷焼」
ピークの時には100の窯数を超えていますが、現在は13窯が残っているだけとなりました。窯ごとに陶器、磁器と製造され、作風も様々です。
 
ぜひ、この体験に奮ってのご参加をしてみて下さい。 
 
期日:12月11日(土) 10:00開始 12:00終了
場所:酔月窯 〒969-6116 福島県大沼郡会津美里町字瀬戸町3174
定員:10名  /  費用:1,200円

 
~お問合せ:お申込み~
 
会津美里町役場 政策財政課 地域おこし協力隊
電話:0242-55-1171

TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップ/越後街道・車峠

2021年12月6日

イザベラ・バードが福島県を通ったのは明治11年6月26日から7月1日までの6日間でした。日光から下野街道(現在の国道121号)を北上し、県境である山王峠を越えて会津に入りました。川島に1泊したのち、会津田島を通り過ぎて大内に宿泊しました。大内からは市野峠を下って市野、会津高田を通り会津坂下に1泊。会津坂下からは越後街道を新潟に向かい、 
車峠の茶屋で2泊して、さらに越後街道の鳥居峠を越え、新潟県の津川に向かいましたが、 
この間のイザベラ・バードの移動は馬でした。  
 
●越後街道・車とげ周辺 散策ルート(西会津) 
西会津地方の中心的な町である野澤でも、バードは多くの人たちから好奇の目で見られながら休憩しました。夕方になって阿賀川舟運の村である野尻に着き、美しい村の印象を「絵にみるような村」と記しています。翌日はキリスト教の安息日だったため、集落内の宿ではなく、東峠の途中に3軒の宿屋を見つけ出し、そのうち1軒に泊まることを決めました。バードはこの宿の居心地の良さを気に入り、宿のおかみさんとの会話を楽しそうに交わしています。まる一日の完全休養を取ったバードと伊藤は、車峠を下って福島県最後の峠となる鳥井峠を越え、津川の町に向かいました。 
 
●ルート全長:約7㎞ 
野澤宿→下野尻までは車での移動(約10分)がおすすめです。根拆神社(ねさくじんじゃ)→ 
車峠の茶屋跡
 
1、野澤宿→2、芹沼の一里塚跡→3、上野尻宿→4、下野尻宿→5、根拆神社(ねさくじんじゃ)→6、車峠の茶屋跡 
※散策ルート周辺の駐車スペースには限りがありますのでご注意ください。 
 
〈野澤宿〉 
元和6年(1620年)、野澤原町村が駅所になって現在の町型ができました。野澤本町村は初めは「馬継ぎ」の宿でしたが、文化3年(1806年)の駅所となって原町村と合体して野澤宿が完成しました。 
 
〈根拆神社(ねさくじんじゃ)〉 
車峠麓の根拆神社は、大天神社や村中の各神を合祀し、明治元年に改称。神社名は、大変困難な峠開削が岩根を裂くばかりの猛烈な根裂神の力を借りてできた、ということに由来しているといわれています。 
 
〈車峠に向かう峠道の様子〉 
車峠の峠道は、束松峠と同じ江戸時代の寛永年間に、安座肝煎二瓶七左衛門によって開削されました。峠道には目印となる案内板が設置されており、根拆神社から車峠の頂上まで約20分程度でたどり着ける比較的散策しやすい峠道です。 
 
〈車峠の茶屋跡〉 
車峠には3軒の宿があったといわれています。道路事情が変わり磐越西線が通り宿屋は衰退してしまいました。車峠の頂上からの眺めは、イザベラ・バードが褒めるほどでした。 
 
【お問い合わせ先・イベント情報等の発信元のご紹介】 
〈にしあいづ観光交流協会〉 
にしあいづ観光交流協会では、越後街道に関する情報をまとめたパンフレット(西会津越後街道ものがたり)の発行、西会津町観光ガイドの会と連携した越後街道のウォーキングイベントの開催などを行っています。西会津町内の観光情報、越後街道の散策に関する情報など、 
西会津町を訪れる際は事前にお問い合わせください。 
TEL:0241-48-1666 
 
【引用先】TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップパンフレット 
バード①バード②車峠

TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップ/越後街道・束松峠

2021年12月5日

イザベラ・バードが福島県を通ったのは明治11年6月26日から7月1日までの6日間でした。日光から下野街道(現在の国道121号)を北上し、県境である山王峠を越えて会津に入りました。川島に1泊したのち、会津田島を通り過ぎて大内に宿泊しました。大内からは市野峠を下って市野、会津高田を通り会津坂下に1泊。会津坂下からは越後街道を新潟に向かい、 
車峠の茶屋で2泊して、さらに越後街道の鳥居峠を越え、新潟県の津川に向かいましたが、 
この間のイザベラ・バードの移動は馬でした。  
 
●越後街道・束松峠 散策ルート (会津坂下町)
坂下は、越後街道を代表する大きな宿場で、多くの客で混みあってました。運よく宿屋が見つかり、そこに泊まることができましたが、翌朝出発準備をしていたら2,000人もの見物人が押し寄せ、這うようにしてやっと町を後にしました。塔寺、気多宮(けたのみや)、鐘撞堂峠(かねつきどうとうげ)と過ぎ、只見川の片門船橋で対岸に渡りましが、12隻の廃船を繋ぎ、厚い板を渡した浮き橋でした。道すがら目にした会津磐梯山、飯豊山、明神ヶ岳などの壮大な姿に感動しながら、東松峠に至りました。
峠名の由来は、周辺に「束松」と呼ばれる、特殊な樹形をした赤松が生えていたため、そこから名付けられました。
 
●ルート全長約3㎞ 所要時間約1時間
〈会津坂下町天屋・本名集落→東松峠(たばねまつとうげ)までの約3kmの登りルート〉 
1 会津坂下町天屋・本名集落→ 2 石畳道 → 3 一里檀 → 4 秋月悌三郎「北越潜行の詩」詩碑 → 5 峠の茶屋跡

<石畳道>
戦前までは、石畳がまだ残っていました。砂岩の切り石を敷き詰めた道は束松峠の悪路を快適にしてくれました。しかし、馬車が通るには邪魔となり、さらに炭焼き窯を築くのに抜き取られてしまい、いまはわずか一部に面影を残すだけとなってしまいました。
 
<一里壇>
江戸時代の初め頃、若松を起点として一里ごとに築かれました。一般には一里塚といわれていますが、この地方では一里壇と呼んでいました。越後街道の会津側で完全に残っている唯一のものです。この近くでは若松側には舟渡、越後側には西会津ガラメキ橋のたもとにありました。
 
<束松峠(たばねまつとうげ)>
昔、峠の頂に三株を束ねたような松があったので束松と言われ、峠にその名がつきました。嘉永年間(1624年~44年)若松城修復資材を安座の肝煎二瓶七左衛門が運び出した道が整備されて峠道となりました。(頂上の標高は460m)

<峠の茶屋跡>
束松峠の頂上にあります。「新編会津風土記」では、寛政年間(1789年~1800年)とありますが、古い記録ではこれ以前から茶屋があったことが記されています。東には磐梯山の麓に若松の城下が望まれ幾多の名土がその感慨を詩に歌に託しています。
 
【引用先】TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップパンフレット

 

バード①

バード②

TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップ/市野峠

2021年12月4日

イザベラ・バードが福島県を通ったのは明治11年6月26日から7月1日までの6日間でした。日光から下野街道(現在の国道121号)を北上し、県境である山王峠を越えて会津に入りました。川島に1泊したのち、会津田島を通り過ぎて大内に宿泊しました。大内からは市野峠を下って市野、会津高田を通り会津坂下に1泊。会津坂下からは越後街道を新潟に向かい、 
車峠の茶屋で2泊して、さらに越後街道の鳥居峠を越え、新潟県の津川に向かいましたが、 
この間のイザベラ・バードの移動は馬でした。  
 
●市野峠散策ルート(会津美里町)
 
バードは大内から市野峠に向かい、急な山道を下って市野に到着。そこから会津高田に向かいますが、道が悪く馬も良くなく大変な苦労をしました。高田では旅館に入って休憩しましたが、外国人女性が来たということで1000人もの見物人が押し寄せます。郊外に紙漉きを生業としている村があると聞き、見学に行ったバードはその作業の様子を詳しく紹介しています。
 高田から会津坂下まで5時間かけて進みましたが、そのルートは明確に記されていません。距離が最短である新屋敷、羽林の村を通る道(現在の県道22号)だったのではないかと思われます。
 
●ルート全長約7km 所要時間約3時間
〈大内ダム周辺(上り)→市野峠(下り)→市野塾〉
1 街道出入口の案内坂 →2 市野峠頂上→ 3 大沼平→4 街道出入口の案内坂・名水地蔵清水
 
<街道出入口の案内坂>
現在の県道330号から、市野峠の散策ルートへの入口には目印となる案内坂が設置されています。ウォーキングイベントへの参加者がイザベラ・バードが旅した古道に入る際の目印になっています。
 
<市野峠 頂上>
市野峠の標高は約870m、古代から会津盆地と南山地方を結ぶ大切な接点でした。イザベラ・バードもこの市野の美しい眺望を記録しています。(当時の記録では、市川峠と記されています)。
 
<大沼平>
市野峠の頂上から、名水地蔵清水に向かう途中に「大沼平」があります。この大沼平はモリアオガエルの産卵地となっています。散策ルートには大沼平の他にも、樹齢200年を超えるトチノキやタマアジサイの群落などの見どころがあります。
 
【引用先】TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップパンフレット
 

バード①

バード②

TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップ/下野街道

2021年12月3日

イザベラ・バードが福島県を通ったのは明治11年6月26日から7月1日までの6日間でした。日光から下野街道(現在の国道121号)を北上し、県境である山王峠を越えて会津に入りました。川島に1泊したのち、会津田島を通り過ぎて大内に宿泊しました。大内からは市野峠を下って市野、会津高田を通り会津坂下に1泊。会津坂下からは越後街道を新潟に向かい、 
車峠の茶屋で2泊して、さらに越後街道の鳥居峠を越え、新潟県の津川に向かいましたが、 
この間のイザベラ・バードの移動は馬でした。  
 
●下野街道・大内宿周辺 散策ルート(下郷町)
田島を出たバードは大川(阿賀川)の右岸を進み、長野の渡で大川を渡りました。街道は樽原から山道に入り、倉谷、水抜、中山峠を通って大内宿に入りましたが、途中の村々でバードは畑に植えられた多様な作物を目にしました。小麦、大麦、米や豆類を始め、スイカ、キュウリなどのほか、重要なものとして朝鮮人参や藍をあげています。 
大内でバードは、この地域で名主を務めた「美濃屋(阿部家)」に泊まりました。美濃屋はバードが泊った当時とあまり変わらない姿で現在も残されており、その建物の中を見学することができます(見学は有料)。 
 
●ルート①全長:4㎞ 所要時間:約2時間30分 
1、三郡境の塚→2、峠の茶屋跡→3、大内宿峠一里塚→4、大内宿 
〈峠の茶屋跡〉 
大内峠古戦場を通り、さらに10分ほど上ると、うっそうと茂る林の中に、茅葺き屋根の峠の茶屋を復元した、あずま屋が休憩施設として整備されています。茶屋跡の発掘調査の時には、陶磁器や寛永通宝などの古銭がたくさん出土したといわれています。 
〈大内宿〉 
参勤交代や物資輸送の要として栄えた大内宿。戊辰戦争の折には街道沿いは戦場となりましたが、幸いにも戦火を免れ、300mほどの街道の両端に昔ながらの茅葺き屋根の家々が軒を連ねています。昭和56年に国重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 
今でもタイムスリップしたような体験ができます。 
 
●ルート②全長:約6㎞ 所要時間:約2時間30分 
4、大内宿→5、大内南一里塚→6、沼山石畳→7、馬頭観世音碑(ばとうかんぜおんひ)→ 
8、中山の大ケヤキ→9、高倉山の湧水(長寿の水)
 
〈馬頭観世音碑(ばとうかんぜおんひ)〉 
江戸時代は駄馬輸送だったため、宿駅では多くの馬を保持していました。馬は貴重な存在であり、このため馬頭観音は広く信仰されるようになりました。この碑は高さが約1.9mといいう大型の碑で、背後には安政6年(1859年)5月の刻字も見えます。 
〈中山の大ケヤキ〉 
中山集落にそびえる高さ36m、樹齢950年の大ケヤキ。天喜3年(1055年)後冷泉天皇の御代、八幡太郎義家が陸奥の豪族・阿部貞任を討伐時に、二宮太郎兵衛宅で休憩をしました。その折、手厚く歓待されたお礼のしるしに庭先に植樹したと伝えられています。 
 
【お問い合わせ・イベント情報等の発信元のご紹介】 
〈会津こぼうし会〉 
下野街道や会津中街街道に関する研究、季節ごとのウォーキングイベント開催など、下郷町の素晴らしい資源や自然を次の世代に残し、地域の発展や交流を実現するための取り組みを進めています。イベント情報の入手以外に、散策時のガイドの紹介、ルートや移動手段の相談も可能です。散策を希望される方は事前にお問い合わせください。 
TEL:0241-68-2266(事務局:こぼうしの湯 洗心亭) 
 
【引用先】TIME TRAVEL AIZU 会津路散策マップパンフレット  
バード①バード②バード下郷町

企画展《只見の猛禽類》

2021年12月2日

猛禽類(もうきんるい)とは鋭い嘴(くちばし)や爪をもつ肉食性の鳥類であり、本企画展ではタカ目とハヤブサ目、いわゆる「ワシタカ類」に焦点を当てます。 
只見町では、2021年現在14種のワシタカ類が記録されており、中でもクマタカを始めとする山地森林性の種が多くを占めているのが特徴です。猛禽類は生態系の上位捕食者に位置付けられ、豊富な餌や広い環境などを必要とするため、生態系の健全さの指標とも言われる存在です。
 
本企画展では、豊富な生態写真を交えつつ、只見町のワシタカ相の特徴と餌生物・生息環境との関係性や、サシバなど代表的な種の生態を紹介するほか、人の利用により変遷してきた自然環境が猛禽類に与える影響など、様々な観点から只見町の猛禽類にアプローチしていきます。大型猛禽類であるイヌワシ、クマタカの剥製標本は必見です。 
猛禽類の面白さと、猛禽類の視点から見る只見町の自然の魅力をお伝えします!

 
【開催期間】令和3年12月4日(土)~令和4年4月4日(月)

【会場】ただみ・ブナと川のミュージアム 2階ギャラリー

【入館料】高校生以上310円、小・中学生210円
※20名以上の場合は団体割引があります。
※只見町内在住の小・中・高校生は入館料が無料になります。
 
【開館時間】9:00~17:00(最終受付は16:00) 
 
【休館日】火曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日) 

【お問い合わせ】只見町ブナセンター 
TEL:0241-72-8355

【引用先】只見町ブナセンターホームページ 
 
企画展ポスター_只見の猛禽類

動画配信【會津のたまて箱わっぱ飯の駅 會津遊食 たか膳】

2021年12月1日

会津広域観光情報センターiらんしょ(あいらんしょ)で 
会津全17市町村の「まちの駅」「道の駅」のプロモーション動画シリーズ
【歌う観光大使 越尾さくら の まちの駅・道の駅 INFORMATION】
の配信をしております!

 
順次各駅をご紹介して参ります。 
本日は、vol.26《會津のたまて箱わっぱ飯の駅 會津遊食 たか膳》さんです! 
 
 
各プラットフォームの動画URLは こちらです。 (グレーの文字をクリックしてください)
 
● YouTube 本編 YouTube本編
● YouTube Shorts(60秒)YouTubeShorts
● Instagramリール(60秒)Instagram リール 
● TikTok(60秒)TikTok

 
 
どうか皆様の温かいお気持ちで
『チャンネル登録』『アカウント・フォロー』
そして動画への高評価や拡散を よろしくお願いします。
  
たか膳

国指定史跡 向羽黒山城跡

~東北最大級の山城跡~ 
向羽黒山城跡は永禄4年(1561年)から同11年にかけて築かされた山城の跡であり、山の中には数多くの削平地(曲輪)、土塁、空掘、掘切、虎口(出入口)などが存在し、城跡の形態が良好な状態で残されています。
 
 
【城跡の立地】 
向羽黒山城跡は、町の東側を北流する阿賀川に沿って細長く平坦部に突き出している白鳳三山(観音山・羽黒山・岩崎山)の岩崎全域と羽黒山の一部に位置しています。 
 
【城の変遷】 
各種の史料によると、蘆名盛氏が家督を子の盛興に譲り隠居して、永禄4年(1561年)、向羽黒山城を隠居城として築城し、同11年に完成したが、その後、天正2年(1574年)に盛興が亡くなったため盛氏は黒川城(当時、蘆名氏が政治の中心としていた城、現在の若松城のある場所)に戻り、向羽黒山城は廃城になったとされています。 
しかしその後、伊達政宗が向羽黒山城に出かけていることを示す史料もあり、その頃の社会情勢からも蒲生氏郷、上杉景勝の時代も継続して機能されていたと考えられます。 
 
【城敦史における意義】 
これまでの研究から、戦国時代も末期になるにつれ、城の作り方も山の城から平地の城へと変わってくるのですが、向羽黒山城跡は逆に山城として発展してきました。また、向羽黒山城跡は、規模・質ともに東北を代表する山城であり、保存状態も良いことから発掘調査の実施などにより、東北地方の山城の特質や築城技術の変遷を解明するための有力な資料となるといっても過言ではありません。 
 
【お問い合わせ先】会津美里町教育委員会教育課生涯文化係 
TEL:0242-55-0344 
 
【引用先】国指定史跡 向羽黒山城跡パンフレット 
 
向羽黒山城跡1向羽黒山城跡2向羽黒山城跡3

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iらんしょ 閉館

#会津広域観光情報センター#iらんしょ」は本日(R6/3/20)をもって #閉館 となります。開設から10年間、#会津地方 の観光情報発信をSNSで行い、その間のフォロワー数、FB:1,416・Insta:843・X:2,041と、この数字が皆さんに愛された証と思っております。長い間ご愛顧頂き、誠に有難うございました。